そこでは、われわれがきょうここでしているように、めいめいで正しいと思うようにふるまってはならない。
そのころ、イスラエルには王がなかったので、おのおの自分の目に正しいと見るところをおこなった。
そのころイスラエルには王がなかったので、人々はおのおの自分たちの目に正しいと思うことを行った。
人の道は自分の目には正しく見える、 しかし主は人の心をはかられる。
そこで、神は顔をそむけ、彼らを天の星を拝むままに任せられた。預言者の書にこう書いてあるとおりである、 『イスラエルの家よ、 四十年のあいだ荒野にいた時に、 いけにえと供え物とを、わたしにささげたことが あったか。
あなたがたが、そのふさを見て、主のもろもろの戒めを思い起して、それを行い、あなたがたが自分の心と、目の欲に従って、みだらな行いをしないためである。
「イスラエルの家よ、あなたがたは四十年の間、荒野でわたしに犠牲と供え物をささげたか。
そこであなたがたの神、主の前で食べ、あなたがたも、家族も皆、手を労して獲るすべての物を喜び楽しまなければならない。これはあなたの神、主の恵みによって獲るものだからである。
あなたがたはまだ、あなたがたの神、主から賜わる安息と嗣業の地に、はいっていないのである。
ヨシュアはイスラエルの人々に言った、「あなたがたはここに近づいて、あなたがたの神、主の言葉を聞きなさい」。
その出てきた民は皆、割礼を受けた者であった。しかし、エジプトを出た後に、途中、荒野で生まれた民は、みな割礼を受けていなかった。